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4コマ漫画 アーカイブ

2007年07月15日

4コマまむが vol8 -やれやれ-

やれやれ

妙に通ぶったり、いやみったらしい言い振りをする人って、はたから見ると「さむっ!」って思うことありますよね。
例えばすでに日本語として流通している言葉をわざと英語読みしたり。
オードリ・ハヴァンとか、ヴィジネスとか。
「あ、ごめん。向こうではこういう音なんでつい。ソーリーソーリー」
みたいな、「オレ、事情通」的な台詞は周りをさめざめさせるだけです。
まあ、僕のことなんですけどね。

村上春樹はもはや「世界の村上」になっちゃっていますが、その手の雑誌なんかで「ハーバードの」とか「ノーベル賞候補」「中国などで大流行」みたいな情報を仕入れている人間は、わざと「あー、ハルキ・ムラカミのことね」なんて言ったりします。
で、「あ、ごめん。最近業界ではハルキ・ムラカミとしての方が有名でね。え? どういうことかって? 君知らないの? 村上は世界で……」みたいな話にもっていき、自分の情報をひけらかしたがります。
まあ、僕のことなんですけどね。

やれやれ。

2007年07月17日

4コマまむが vol9 -働かざるもの-

働かざるもの

働かざるもの食うべからず、ということわざがありますが(原典は聖書らしいですが)、あれって要は「働かなくても食っていけるやつがいる」からできたことわざなんでしょうね。

では「働かなくても食っていける」人々って誰なんでしょう。
穀つぶし、ジゴロにルンペン、浮浪者、ニートなどなど、挙げればきりはないのでしょうが、共通するのは駄目な「男」のイメージです(女性の場合、ニートでも「家事手伝い」という言い訳が成り立ってしましたしね、昔は)。

「いや、山谷や釜ヶ崎いきゃあ、女のホームレスもたくさんいますぜ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまでもイメージの話です。
証拠に、メディアやエンターテイメントに出てくる「働かざるもの」はほぼ男のはずです。

はてさて、ではなんで「働かざるもの」は男として表現されるのでしょうか。
これはですね、男は通常「働くもの」だからです。
働くのが普通、だから働いていない人間の異常性が引き立つんですね。

じゃあ女性は?
これはですね、日本の悪しき伝統で「女性は家に居て、しっかり夫と家庭を支えなければいけない」というものがあり、「女性は駄目になりようがない=家庭から逃げるすべはない」という暗黙の了解があるから、女性浮浪者は居ないことになっているんです。

働かない夫に苦労する妻の話はありますが、働かない妻に苦労する夫の話はありません。
家事をしないダメな妻の話はよく聞きますが、それはイメージでもフィクションでもなく、世をあまねく覆う事実であり、「真面目に家事をこなす妻」なんてこの世に存在しないのだから、わざわざ特殊な例として取り上げる必要はありません。

そんなわけで女性は浮浪者になることさえ許されていないジャパン社会。
駄目だ! こんな社会では駄目だ!
女性解放! ウーマンリブ。
オメガルームはフェミニズムなサイトを目指します。

※しかしなんで「女性の権利を考える」みたいな活動されている人たちって、「男女平等」をスローガンにしながら、話を聞いてみると「男を平等以下に貶める」内容が多いのでしょうか?
僕は男なので女性のジェンダー的苦労は体験的にはわかりませんが、男は男で、結構大変なんすよ。

2007年07月18日

4コマまむが vol10 -ハンバーガー親子-

ハンバーガー親子

よく思うのですが、「子どものあこがれの的」って子どものこづかいで買える金額じゃまずいんじゃないかな、と。
ハンバーガーだったり、ゲームソフトだったり。
価格破壊と、生活費・教育費の高騰という実質一人っ子政策をとっている我が国の家庭環境のせいか、ガキが好き勝手にモノを買える時代ですが、「与えない躾」って大事ですよね。

僕はオトナなんで好き放題買いますが。
わーい、きょーはビックリマンを大人買いするぞぉー。

2007年07月19日

4コマまむが vol11 -巨乳の秘密-

巨乳の秘密

こんな秘密があったのですね!
女性の皆さんはヘソクリを奪われないように気をつけてください。

そういや女性のキャミソール姿など見ると「あら、かわいらしくていいわね」と思えますが、男のタンクトップ姿など見ると吐き気をもよおします。
なぜだろう、と考えてみると、僕が男だからなんすね。
男のタンクトップ姿を見て「あら、かわいらしくていいわね」なんて思っていたら、新宿二丁目に引っ越さなくてはなりませんことよ。

となると、逆もありなんなんでしょうか?
女性同士、嫌悪感をいだかないまでも、互いの姿になんら興味がわかないとか。
でも学生時代、よく女の子たちが輪になって互いを「かわいい」「キレー」などと言い合っていましたし、男の感覚と女の感覚ってだいぶ違うのかもしれませんね。

2007年07月20日

4コマまむが vol12 -象-

象

象の鼻って時々無敵だなあ、と思うのですが、よくよく考えたら何キロも先のにおいをかぎ分けるという犬の鼻の方が無敵くさいですね。

にしても何キロも先のにおいがわかるって、それはそれで大変な気もしますね。
自分の好みのにおいだけかぎわけられたらいいのですが(メス犬のにおいとか)、嫌なにおいまで全部入ってきたらたまりません。

だから僕は、犬じゃなくてよかったなあ、とつくづく思います。

2007年08月01日

4コマまむが vol13 -好み-

好み

まあ、嫌いな人に何言われてもねえ。

関係ありませんが、最近は「親」であることも何かと大変な時代。
常に親として忍耐強く我が子に接するのが難しいのは今も昔も変わらないと思いますが、親に対して求められるレベルはどんどん高くなっているように思えます。
「子」の程度が時代ごとに向上するわけじゃないですし、親に対するサポートやある種の「寛容」が、世の中に広まるといいなあ、と個人的には思ったり、思わなかったり。
子どもどころか配偶者もいない僕が言うのもなんですが……。


そういや引越ししてもう1週間。
ですが、未だ色々片付かず。

本

本、どうしたものか。
ブックオフさまの出番ですかねえ。
とりあえず新しい本棚は買わないとなあ……。

2007年08月03日

4コマまむが vol14 -予知-

予知

時々不思議に思うのですが、朝のニュースなんかでやっている占いコーナーとかって、必ず「何かが起きる」結果ばかりですよね。
例えば「恋人とうまくいく」とか「信頼している人に裏切られる」とか。
これって、逆にいえば「恋人とうまくいくような状況にある人(恋人がいて、かつその日に会うor電話などで接触する人)」や「信頼している人に裏切られるための行動ややり取りを行っている人」に限定されるわけで、ある意味的を絞っててえらいなあ、なんて思ったり。

占う側とすれば、より現実的に占い結果を当てようと思ったら、「昨日と同じような日になるでしょう」と言っちゃった方がいいはずですし、予知の精度としては、多分こっちのほうが上なのでは、と。
でもまあ、そんな占い楽しくもなんともないですし、誰も真剣に見ないでしょうね。
その意味で、「占いを真剣に見る人」って、もしかすると「日常とは違う一日を期待している人」と言えるかもしれませんね。
だとすると不幸や望まない未来の「予知」もまた一つの楽しみなのかもしれません。
「まあ、大変! 私、恋人いないけど、『恋人に裏切られるかも』ですって! これは急いでラッキーアイテムのピンクのハンカチ買いに行かなきゃ!」とか。
それはそれで毎日新鮮な気分で生きられて幸せなのかも。

ちなみに僕は占いとかそういう類のものは、存在することに苦もなければ否定する気もありませんが、特に信じてもいませんし気にも留めません。
楽しめる人が楽しめばいいと思いますし、それはそれで真だと思うのですが、自分にはあまり関係のない世界かなあ、と。
まあ、多くの人にとってそうなんでしょうが……。

そういえば、最近時々なんでもない風景見た時に、ふと既視感(デジャヴ)を感じることが。
もちろんこれは、それなりに長いこと生きていると新しく見る風景でも、類型のイメージから「体験感」を得ている(人生に慣れている)というのがその原因なのでしょうが……。
いざデジャヴを感じると、その場その場でそれなりに考えちゃうんですね。
なんだこれ、オレの記憶のどこにある風景なんだ? ここは自分にとって重要なインスピレーションを与えてくれる何かなのか? みたいな。
こういうのって、真剣に考え込まない程度に「不思議さ」を楽しむと、それなりに時間をつぶせたりしていいですね。

自分の抱える日常性のネジをちょっとだけ緩めたい、って気持ちは、案外誰にでもあるのかもしれませんね、占いなんかとも同じで。
その「緩める媒介」が人それぞれというだけで。

2007年08月08日

4コマまむが vol15 -制約-

制約

人は己を律することができる生き物ですが、できもしないこと、自分を追い詰める制約は避けるべきですね。
人は自分がかわいくて仕方がない生き物なので、にっちもさっちもいかなくなると自己防衛のため、制約の不成立の原因を他人に見出したりします。
私が何々できないのは、誰それのせいだ、みたいな。
困ったもんですね。

2007年08月13日

4コマまむが vol16 -ケーキを食べればいいじゃない-

ケーキを食べればいいじゃない

「人はパンのみで生きるにあらず」とはよく聞く言葉。
これは、理性と文化の生き物である人類においては、食欲のみ満たされていても「人」として生きているに値しない、という意ですね。

ではパン以外の生きるカテとはなんでしょう。
そんなものいうまでもありません、「つけ麺」です。

あたくし、最近つけ麺にどっぷりはまっております(なんか以前もこのブログで書いたような記憶がありますが……)。
つけ麺、いいですね、つけ麺。
豚骨魚介のつけ汁にぷりぷり多加水の太麺。
濃厚なつけ汁にたっぷりひたした冷たい麺をつつつるーっとのどに落とし込めば、世界は色を取り戻します。

いいですねえ、つけ麺。
夏はつけ麺さえあれば、パンもごはんもいりません。
あ、でもラーメン屋のチャーシュー丼とかって旨いんだよなあ。
やっぱ米、旨いっすよね。
パンはパンで旨いしね。
ビバ・飽食!

飽食といえば、マリー=アントワネットの有名な言葉で「パンがなければケーキ食べればいいじゃない」というのがあります。
この言葉、大体の場合「庶民の台所事情を知らず、パンの代わりになるものを食べれば済むよね、といった世間知らずな台詞」と思われていますが、ちょっとまってください。
パンの代わりにケーキ? そもそもそこがおかしいですよね。

判りやすいように身近なものに例えてみましょう。
我が国でパンに値する食べ物といえば、もちろん「つけ麺」です。
ではケーキは、というと「すいか」以外にありません。

仮に知人が「おい、今日はつけ麺でも食いに行こうぜ」と誘ってきて、いざ行くと店は閉まっていて「しかたねえから代わりに、そこの八百屋ですいか買って食うか」と言ったら、僕はその人物の思考に疑問を抱きながら、すいかを食べ、夏の涼を楽しむことでしょう。

マリーが言ったのはつまり、こういったちんぷんかんぷんなことなのですね。
常識ある人物であれば、「じゃあちょっと遠いけどちがうつけ麺屋に行こうぜ!」というはずです。
では彼女はどういえばよかったのか?
無論当時フランスにはつけ麺屋はなかったでしょうから(たぶん日高屋くらいはあったと思いますが)、彼女はこう言うべきだったのです、「我が国にパンがないなら、隣国に亡命してパン食えば?」
……これはこれで駄目な女王ですね。


さて、引っ越してはや1ヶ月。
ブックオフ先生にふたたび本たちを引き取ってもらいつつ、ようやく届いた本棚に荷物を整理したら、ようやく片付けもひと段落しました。

本棚1

引越し前・後あわせてダンボールで7箱ほど本を処分したのですが、そのためかいささか本棚が手持ち無沙汰に。
まあ、スペースがあるくらいがちょうど良いですね、買ってもしばらく処分せずにすみますし。

本棚2

旧本棚は書類と雑誌・ムック用に。
部屋が片付くのはいいですね、気持ちがさっぱりします。
片付けたら気持ちがゆるんだので、つけ麺でも食べに行くかな。

2007年08月15日

4コマまむが vol17 -銃社会-

銃社会

鍛え上げた鋼の肉体も、鉛玉の前では綿と化します。
悲しいですね、でも安心してください。
オリンピックで3位以内に入れば、心臓部をガードするサポーターをもらえます。
柔道家たちは銃を跳ね返す金ぴかのサポーターのために、今日も柔の道を突き進みます。

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