« 2007年10月 | メイン | 2007年12月 »

2007年11月 アーカイブ

2007年11月04日

4コマまむが vol30 -マリオギャラクシー買った-

超兄弟

WiiスポーツとWiiFitのために購入した任天堂様の人気機体・Wiiですが、最近はすっかり利用しなくなっております。
というか、社会人になって以降、基本めっきりゲーム自体遠ざかっている私ですが、先日、久しぶりにWiiのソフトを購入いたしました。

タイトルは「スーパーマリオギャラクシー」なるものです。
ご存知ない方のために説明すると、赤い服を着た配管工の中年オヤジが、「桃姫」という歌舞伎町チックな源氏名のスケを助けるために宇宙(企画)に向かう、というゲームです。
これだけきくと、「大丈夫かいな、そのゲーム」と思われるかもしれませんが、ゲームデザインをされているのが、TIME誌の「今年もっとも影響力のある人物100名」に選ばれるくらいの大御所・宮本茂御大ですので、きっと面白いはずです。

で、やってみたわけですが、はじめに申し上げますと「これはきっとすごいゲームで、ゲームファンはサルのようにプレイするんだろうなあ」という出来のものでした。

「星の王子さま」のカットに出てくるような星を縦横無尽に駆け巡るアクションゲームなのですが、この「重力感」をデジタルで表現しようとしたのが、すごいですね。
こういう処理で、と設計書見せられたプログラマーたちがどよめいたんじゃないでしょうか。

普通、3Dのゲームは視点をキャラクターにあわせるため、キャラクターが右を向けば画面全体が右に、左を向けば左に、と画面全体がゆらされて気持ち悪くなります。
さらにマップが広いと、右、左、右と何度か方向転換するとどこにいるのかよくわからなくなります(で、いちいち全体マップなるものを確認しないと位置が把握できなかったり)。

そこら辺が3Dゲームの特徴といえば特徴なのでしょうが、このゲームの場合、キャラクターではなく星も軸になっているため、星の下に行くとそのまま下に位置することが多いんですね。
そのためキャラクターは変な立ち位置になったりするのですが、ユーザーの視線がキャラクターと星どちらも把握しやすいため、迷うこともなく、3D酔いも少ないようです。

また、MAPが広いとユーザーの視線は無意識に「基準となる情報」を探そうと常にMAPから最新の背景情報を得ようとして疲れちゃうのですが、はなから自分が動き回っている場所の全体図がわかっていると、そういう情報収集に労力を裂かなくてすみます。
若干、場所によっては星(ないしオブジェクト)の裏に回れるのか、回れないのか判りづらいところもありますが(回れないオブジェクトの場合、「落ちて」miss扱いになります)、星をマップにするという発想が色々と功を奏しているかと。

グラフィックも美しいですね。
色使いも世界観も細やかで見ているだけでずいぶん楽しげに思えてきます。
ファミコン世代としては、あのカクカクしたキンタマリオがこうも進化したのかと感慨深いものもあります。

が、ですね。
実は2、3時間くらいして、わたくし、ぽっつりと手が止まっております。
別に難易度が高いわけでもゲーム内容が悪いわけでもありません。
単純に「面倒」になっちゃったのです。

重ね重ね申し上げますが、ゲーム自体が悪いわけでは決してありません、おそらくそうとう良い出来のものだと思います。
ただ、なんというか、長い時間かけて先に進めたいという気分がこう、起きないんですね。
missするとある程度前の地点に戻されるのも、なんだか、と思っちゃうんです。
別にゲーム上手になりたいわけじゃないしなあ、この時間他のことに使いたいなあ、みたいな。

いっそのこと、Wiiスポーツのソフトを入れた後、マリオのソフトに入れ替えると無敵になるとか、そういうバグを用意してほしかったくらいです。
あと最終面に進むまでの時間を短縮するシステムとか(スーマリ3でいう笛みたいなやつ)
小2時間くらいで終われればそれで満足、あとは気が向いたときにちょっとやるくらいですむのですが……。

多分、今どんなジャンルのゲームをやっても途中で手が止まっちゃうんだと思います。
映画一本分くらいの長さのものじゃないと耐えられないかと。
これが加齢ってやつかと悲しくなっちゃいますね。

というか、ゲームに限らず、色んな嗜好が変わってきていますね。
例えば読書にしても、昔はどれだけ巻数のある長編小説でも面白ければ読んでいましたし、連載中のものもチェックして我慢強く新刊を待ったりしていました。
が、最近は手軽なエッセイや章立てが細かく中休みしやすい小説とか、すでに完結しているもの、4コマ漫画とかばかりに手を出すように。

年取って粘り強くひとつのことに取り組めなくなったか、というとそんな社会人はいないわけでして、こと仕事なんかに関しては長期間ぬっぽり取り組むべき案件を断続的にこなしているわけですが……。
プライベートではだめになっちゃってるんですかね……。

そんなわけで、しばらくは超兄弟宇宙はやらないような気が。
また気が向いたら手をつけるかも、というかそのくらいのんびりやるくらいなら、中古でてからでよかったのかも、ふうむ。

2007年11月05日

Cintiq 12WXとソフト認証とニコニコ動画の件

Cintiq 12WX

日ごろ絵を描いたりデザインしたりする際、家ではintuos2、職場ではFAVOなんぞを使っていたりするのですが、こう、未だにあまり慣れないんですね。
タブレットを使い始めて早3、4年くらいたつはずなのですが、intuosにしてもFAVOにしても、液晶を見ながらフリーハンドでライン引いたり、色塗ったりすると、どうもずれちゃうんです。
ワシの小さい頃はパソコンなんてなかったからのう……、というほど老いてはいないのですが、絵やらなんやらは手書きで覚えたせいか、ペン先を見ないで何か描くのが結構苦手になっているのかもしれません。

で、常々「液晶タブレットほしいなぁ」なんて思いながら、家電ショップのWACOMコーナーに行って、クソ高いCintiqをいじりつつ、もうちょい安ければ思い切れるんだけどねえ、なんてため息をつく日々でした。
ところが先日、Cintiq12WX発売のニュースを目にしたんです。
さっそくサイトを見てみると、画面解像度やら感度、ファンクションキーなど内容的には特に不満のないスペック。

値段もおおよそ14万くらい、これなら冬ボで買ってもいいかも……、なんてぶつくさ言いながら計算機を叩く今日この頃です。
でもCS3も買いたいんですよねえ……、あと最近値崩れ激しい液晶モニタも24インチくらいのやつがほしいんですよねえ、ううむ。

にしても、常々思うのですが、タブレットにしてもデザイン系のソフトにしても、どうしてこう高いんすかね。
タブレットは、特許関係でWACOM以外から出しにくく、競争が生まれないのが原因とか聞きますが……。

デザイン系ソフトは「ワレ物が横行していて、その損失を埋めるために正規ソフトの価格が上昇している」みたいなことを聞きます。
が、これってひどい話ですね。
何がひどいかって、ワレ物使っている人が……、云々ではなく、なんら対処していないメーカーサイドってどうなのよ、という意味で。

ワレ物が問題だ、なんてのはネットが普及し始めたころからあがっていたことで(それ以前もあったのでしょうが、爆発的に違法ソフトが増えたのは間違いなくネットの普及のせいでしょうね)、10数年たっても未だにそこがネックになっているなんて状況がおかしい気がするんですけれども。
なら発行IDを完全にネット認証にするとか、ドングルつけるとかすりゃあいいのに。

これは単なる憶測なんですけれども、なんかメーカー側も「ある程度のワレ物が横行するのは、むしろ良いこと」くらいに考えてるんじゃねえの、なんて勘ぐりたくなっちゃいます。
Flashがはやった時、バカスカ世に出た動画のほとんどは素人が作ったもので、おそらくはそのほとんどがワレ物で作られたはずです。
ところがワレ物が横行した結果、当時のMacromediaはWEBの動画標準(FlashPlayer)を絶対的なものにし、ソフトの知名度も上がり、結果的に正規版の売り上げに貢献していたような気も。

そういや最近、ニコニコ動画やYouTubeなどで著作権の問題が話題になっていますが、未だに大きな裁判沙汰になっていないのにも、ちょっと訝しい感じがしますね(裏でJASRACがどうの、版元がどうのってやっているみたいですが)。

一部のユーザーから「ニコ動で(違法)動画があがって流行り、それがDVD売り上げにも貢献しているんだから、メーカーもごちゃごちゃいうなよ」みたいな話を聴きますが、これはコンテンツ制作者には納得のいかない話のはず。
そもそもコンテンツに投資されたお金の「元」は、DVD売り上げやらグッズ販売やらで回収できない「元」の場合もあるはずですし(テレビCMの広告元とか)。

ですが、こういう意見があながち100%間違っているとも思えないのが、臭いんですよね。
要は2本の二次関数的な曲線があって、こういった動画アップロードサイトによるプロモーション効果(右上がりの線)とDVDの売り上げや番組のCM効果(右下がりの線)が交差する点まで、メーカー的にも違法アップロードは問題視せず、ぎりぎりのところで動画削除などすればベターだね、みたいなのがあるような気も。

こう考えるとデジタルの世界で未だ解消されない「グレーでもやもやした部分」って、案外裏をたどると世間的に権利を侵害されている側の要求なんじゃないの、なんて。
いえ、憶測なんすけど。

いずれにしても、日ごろあまり物欲のないあたくしですが、ここ最近登場しているソフトやハードにはわりと食指を動かされている今日この頃です。
え? VISTA? そんなの1mmも興味ありません。


-------------------------------


[後日談]
結局買いました
http://www.w-room.net/2008/01/cintiq_12wx_1.html

2007年11月18日

「だって愛している」と「日常」、あるいは最近の出版物について

だって愛してる・日常

最近本の購入は半分くらいアマゾンさんまかせのあたくしですが、今日、ぽっくりわすれていた注文のブツが届きました。
アマゾン、分割にすると送料高くつく場合があるんで一括購入しがちですが、予約の品があると思いのほか到着が遅れるたりするのが困りますね。

で、届いたのが「だって愛してる(2)」と「日常(2)」という漫画本なのですが、奇遇なことにどちらも2巻。
ジャンルも内容もまったく違う内容の2冊ですが、個人的に似ている部分があるかも、と。

どちらも2巻、連載物としてはまだまだ"若い"はずですが、世界観や表現は確立されています。
「だって愛してる」は4コマらしいテンポの良いジョークと"泣かせる"ヒューマンドラマ、「日常」はできのよい不条理ネタをやわらかいタッチの絵と一般的な利用法をあえてはずした漫画的表現で"違和感"を描くスタイルで固まっています。
訴求ポイントが明確なので、読者も安心して購入できるかと。

帯のコピーも良いですね。
「だって~」の方のコピーは、

「君がいるから 俺を好きになれた
むんこにまた泣かされてください」

とあります。
0.5秒考え、1秒後に理解する「ちょうどいい1拍感」は1巻の「パンチの届く距離にいて」に通じるところがありますね(同じ担当がつけたコピーなんでしょうね)。

一方「日常」の方はシンプルに

「平凡≠日常」

とあります。
これも1拍おくと「平凡じゃない内容なんだろね」と思わせる軽やかなコピーですね。
ちなみに帯の背表紙にあるコピーは「非常口」、不条理漫画であることを前面に出していますね。

もうひとつ、個人的にこの2冊に共通しているなあ、なんて思っている点に「一見さんに優しい」ことがあげられます。
4コマ漫画はおそらく、読者層が20~30代女性(>男性)で、かつ1作家の連載ページ数が少ないこと、購入シーンが「特定の連載があるから購入する」わけではなく「何気に手に取る」であろうことから、一般的に「一見さんがぱっと読んでも内容がわかるようにできている」ことが多いように見受けられます。
例えば各連載のはじめの1ページには、キャラクターと内容が一発でわかるようなセオリーどおりのネタが掲載される場合が多く見受けられます。
例えば学校モノで「子どもじみた先生」と「大人びた子ども」の掛け合いを楽しませる4コマであれば、1ページ目にはおおむね、先生がボケて子どもが突っ込む、といった内容のものを持ってきます。
すると初めてその作品をみた読者でも、「こういったキャラクターとネタの漫画なんだろね」と一発で理解できます。

「だって愛してる」の場合もごたぶんにもれず、1ページ目に「売れない小説家の夫を奥さんがはっぱかける」といった4コマがほぼ入っています。
ストーリーモノになっている4コマであっても、この1ページがあるだけで、一見さんもすうっと入ってこれるはずです。

方や「日常」ですが、これは独特な世界観のため、一見すると連載をはじめから読んでいないと理解しにくいのでは、とも思えます。
が、よくよく見てみると、ネタで成立するために必要とされている要素はほとんど「続き物」としてみなくてもよいものが多いんですね。
キャラクターやストーリー上の過去を起因としたジョークの場合、それぞれを知っておかないと理解できないのですが、「日常」の場合はコマ運びの面白さや漫画的表現の「ゆれ」におかしさがあるため、一見さんでもわりとすんなり入り込めるのではないでしょうか。

だって愛してる・日常

そんなわけで、偶然同じ日に届いた漫画2冊の共通点などということを無理くり並べてみましたが、ふと思ったのですが最近の漫画って、長大なものが多すぎるような気がしてなりません。
ある連載漫画の5巻とか13巻とか、ふと引き抜いて読み、楽しめるものって少ない気がします。
雑誌の売り上げや「単行本で回収する」システムなど色々な足かせはあるのでしょうが、どうも「囲い込んだユーザー以外楽しめない」漫画が増えているような気がするのですが、どうなんでしょう。
出版業界の話で言いますと、最近、やたらとケータイ小説やらの勢いが増していて「やべえ!」と思っている人も多いようですが、なんでまたろくに編集もされていない、レトリックのかけらも見当たらないような文章が支持を受けているかというと、携帯という手軽さやネットのマーケティング効果云々もあるのでしょうが、個人的に思うのが「章立ての細かさ」じゃないかと思うんですね。

一度に読むべき文章がほどよく、手軽であること、というのは現代の大衆メディアに不可欠な要素のひとつに思えます。
エンターテイメントがあふれかえっている時代に、ひとつのコンテンツに割ける時間が限られているユーザーに訴求するには、内容以前に「見せ方」「消化方法」を整えてあげることも必要なのかと。
で、4コマなんてそういう意味では、漫画というジャンルの中でもとりわけ「回転」のよいジャンルで、忙しい大人にも入り込みやすい分野に思えます。
が、どうも最近新しく発刊されている4コマ雑誌を見る限り、続けて読むことを前提としたストーリーモノが多く、一見さんに優しくないものが増えているような気がします。
コンビニなどでふとストーリーモノが多い4コマ雑誌をパラパラと読んでみても、内容がよくわからず、その回だけみてもキャラクターの特徴がうまく把握できないものが多いんですよね。
憶測ですが、「あずまんが大王」など、「ストーリー系の長編にできる漫画(=ヒットすれば連載を長引かせられる。ネタに詰まらない)」4コマが成功したせいで、「一見さん」に優しくないものが増えているのではないでしょうか。

無論、それはそれで良いのでしょうし、すべてが一見さんにやさしく、1話完結的にする必要はないのですが、はたして4コマ漫画を購入する層の要望にこたえられているのか、ふと疑問におもうこと
があります。

で、漫画は長大なものが増えているのですが、小説やライトノベルでヒットするものは簡単でシンプル、キャッチーで奥の浅いものが多いように見受けられるのですが、どうなんでしょう?
一応、ヒットした小説や話題のエッセイなどは本屋でパラパラとチェックしているのですが、どうも強くひかれるものがないんですね。
例えば先日、映画化決定・作者渾身の一冊、みたいなPOPつきの本をたらりと読んでみたら「余命いくばくかの女の子が初恋の男に再会するために昔住んでいた街に。そこにある変化の違和感を感じながらも男との時間をいつくしみ、その時を迎える」みたいな内容で、非常にがっかりしました。
平成も20年が過ぎようとしているのに、昭和から変わらないぬるくさいオールドタイプのメロドラマ小説やインパクト重視の怪奇・猟奇ものの小説ばかりが平積みされているというのはいかがなもんなんでしょう?
こんな内容に金と時間かけるならケータイ小説で満足だよね、なんて。

どうも出版不況だなんだと業界がバタバタしているのは、必ずしも他のエンターテイメントが普及したからだけではないように思うのですが、どうなんでしょう。
「売り」のコンセプトがどうもビジネス寄りで、現在の読者が求める「ピッタリ」が見えていない気が。
もちろんうまく「ぴったり」を理解しているところは、きちんと訴求をしぼってブツを出し、売り上げを上げているはずです。
たくさんの「ぴったり」なエンターテイメントが世に登場することを期待するばかりです。

2010年04月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
Powered by
Movable Type 3.34